アメヤ横丁(-よこちょう)【東京都】
名称の由来としては第二次大戦後、旧満州からの引揚者等が米軍の払い下げ物資を安く売りたたく店が沢山集まったことからの「アメヤ」の名や、飴を販売する店が多数出店したことからの「飴屋」、米兵が小遣い稼ぎに物資を持ち込んで店を開き、アメリカの製品が大量に出回ったことからの「アメリカ+屋(店)」の三つの説がある。
アメ横は第二次世界大戦後、国に許可をもらわない闇市だった。十分なモラルがない中で、様々な人間が様々な物を売買しており、それらに群がる愚連隊や暴力団などもが入り込み、白昼の発砲事件なども起きていた。手を焼いた当局が近くの実業家近藤広吉に頼み込み、80軒の商店を収容した「近藤マーケット」を作らせた。近藤マーケットは出所の怪しい者を排除して出店させたため、アメ横はようやく正常化へと向かっていった。因みに東上野に現在も残る「キムチ横丁」はこのときアメ横から移転した韓国人・朝鮮人が作ったものである。
アメ横は第二次世界大戦後、国に許可をもらわない闇市だった。十分なモラルがない中で、様々な人間が様々な物を売買しており、それらに群がる愚連隊や暴力団などもが入り込み、白昼の発砲事件なども起きていた。手を焼いた当局が近くの実業家近藤広吉に頼み込み、80軒の商店を収容した「近藤マーケット」を作らせた。近藤マーケットは出所の怪しい者を排除して出店させたため、アメ横はようやく正常化へと向かっていった。因みに東上野に現在も残る「キムチ横丁」はこのときアメ横から移転した韓国人・朝鮮人が作ったものである。
update:2009年09月15日
